探索記
6
一本道を、年老いたロバと一緒に進んでいる。
右側はそそりたつ壁。
左側は底が見えないくらいの谷底だ。
右側の壁はほぼ90度ではるか上空まで伸びているので、登る事は不可能。
道の幅は1mくらいなので、一歩左側に足を滑らせたら死んでまう。
だからただただ一本道を行くしかない。
どれくらいこの道を来たのか、とにかく今更後戻りする気には到底なれない。
時々歩き疲れて座る時も、左側に足をぷらぷらさせたりすると怖いから、前を向きながら座る。
そうして進んでいったら、一本道が途切れていた。
途中で道が崩れてなくなっているが、ちょっと先からまた道が続いている。
よく見ると、右側の壁の上から垂れたロープがある。
選択肢は4つ。
1.どうしようもないからここにとどまる。
2.来た道を引き返す。
3.ジャンプしてロープにつかまり、向こう側に渡る。
4.ジャンプしてロープにつかまり、壁を登っていく。
3か4だと一旦ロバをここに置き去りにする事になるが
もし3で、向こう側に渡った先に何か橋になるものがあれば
それでロバをこちら側に渡らせることができる。
4だと正直この壁を登り切ったあとにロバを救出しに戻る案は無い。
ロバを置き去りにするのはしのびない。
1や2は正直選択する気もない。
ともかく、こんな変な壁と谷底にはさまれた所から一刻も早く抜け出したい。
私はえいやと、思案がまとまらないままにジャンプした。
ロープを握る事に成功した。
勢いで向こう側にも行ってまえ、とその場で判断し飛び移った。
やったうまいこと向こう側に着地できたぞ、と思ったら
ぐらぐらと揺れ始めたので、慌てて再度ロープに飛び移った。
向こう側の道は完全に崩れ去って崖の下にゴロゴロと落ちていった。
危ない所だったと思ったらロープも腐りかけていて
ぶちぶちと千切れ始める。
咄嗟にすぐ近くのへこみに手をかけた瞬間ロープは千切れてしまう。
そのへこみに何とかよじ登ったものの、
本当にただのへこみなので
自分一人が入ったらもういっぱいいっぱいの狭い空間だった。
ちょっとでも重心を前にしたら崖に落ちてしまう。
元にいた道に飛び移るにも遠すぎる。
ロバを見るとこちらをしばらく眺めたあとに
くるりと後ろを向いて行ってしまった。
ジャンプしないで来た道を戻ればよかったがもう遅い。
ジャンプした瞬間、もしこの先の道がダメだったら
最悪ロープをよじ登っていけばいいか、
ロバを置き去りにしてしまうが仕方がないよな、
と実際腹の底では思っていたことが改めて思い起される。
とにかくちょっとも身動きができない状態で
わたしは途方に暮れ続けるしかない。
5
プラスチックのぺこぺこした椅子に座っている。
目の前は地平線で何も無い。
風もないし、空は晴れてはいるが雲もないので、時間が全体的に止まっているようでもある。
シーンとしているのだが、左の方からかすかに「ぽて、ぽて、ぽて」と聞こえてくる。
椅子に座ってその音が少しずつ大きくなるのを聞いている。
そしてそれの姿が明確になる。
大きな風船がいくつもくっついているものが、ぽて、ぽてと歩いている。
緑色、黄色などの風船たちで、背格好としては縦7m、横は4mといったところだ。
私の目の前を通り過ぎ、またぽて、ぽて、と去っていってしまう。
そうしてまた無音の時がどれだけ流れたか知らないが、時々そうやってぽて、ぽてと似たようなものが通り過ぎていく。
大きさもまちまちで、色も青とか白とか別のバージョンだったりするのだが、とにかくただ通り過ぎるだけなのでしだいにどうでもよくなる。
「毎回毎回そうやって通り過ぎて、もうどうでもよくなってしまうよね」
いつの間にか隣に座っている人がそう言うので、確かにもうどうでもいいね、ぱぁんと破裂でもしたらちょっとは気を引くもんだが、と答える。
「ぱぁんと破裂したら、いくつもの風船が連なってバランスを取っているのだからそれが崩れて倒れてしまうんじゃないだろうか。そしたら倒れて、そんでこっちに『立つのを手伝ってくれ』と言ってきたらどうするんだい。おれはごめんこうむりたいね」
と隣人が向こうを向いたまま、おおやだやだという素振りをして言う。
風船が「手伝ってくれ」と発声するだろうかと思いながら「そしたら『悪いけどむずかしい相談だねそれは。助けたいのはやまやまなんだがね』とでも言っておけばよいでしょう」と返す。
それきり隣人は黙って、組んだ足をぶらぶらさせたり、ふんふん♩と鼻歌を歌ったりしている。
ぽてぽて風船がめっきり来なくなって久しくなった頃、一個の雲がゆっくりじっくり流れてきた。
隣人は「雲や..」とこちらに伝えるでもなくつぶやき、私も「雲や..」心の中でつぶやいた。
かた..と隣人は立ち上がり、雲を見ながらゆっくり歩み出すので「おい君」と言葉をかけるとこちらを振り返りもせず隣人はこう答えた。
「ゆくことにするよ雲を見ながら。ここに居ても仕方がないだろう」
私は一抹の寂しさを覚えたが、それもまたアリだなと思ったので「おk」と答えた。
君もこないかと言われるかなと思ったけど、隣人はそのまま、さあなら、と行ってしまった。
雲と隣人はゆっくりゆっくり向こうの彼方に見えなくなった。
しばらくして、ぽてぽて風船が二個連なって歩いてきて、また通り過ぎていった。
その後、また二個連なったものたちが、ぽてり、ぽてり、と通りかかった。
4
もうとにかく大きな塊が広場にある。
向こうから向こうまで走って走って結構かかりそうなくらいの幅。
高さもどんくらいだかよく分からない。
係員がいる。以下会話。太字が私。
おい。
はい。
これはなんだ。
塊ですね。ポリエステルだったかな?
ポリエステルの塊のなんなんだ。
なんなのかは無くて、ただ塊です。
ただの?なんのために?
さあ。塊が塊であることに意味は、あこれのオーナーさんがですね、まあこの敷地内もそのオーナーさんの持ち主なんですが、これを作って置いておきたいから、って事だと思いますよ。
アートか?
アートなのかなあ。あの、何か庭を良い感じにやったりするやつあるじゃないですか、何か石の..灯篭?とかそういう日本家屋的な。それだと思いますよ。
それっつっても規模もサイズもけた違いじゃないか。
はい。そこがポイントなんですかね。
くっ..気取りやがって..!
見れば見るほど大きい。
何の変哲もない楕円のドーム。
見上げると太陽の光が眩しい。
くっ..
何か好きだ、これ。
何の役にも立たないのに。
私は係員をほおっておいてその場を離れ、コンビニでアイスを買って食べながら帰った。
-
次の日、私はまた塊のところへ行った。
係員が軽く会釈するのを無視。
よく見ると塊の周辺に腰かけて読書する者
ぎゅうぎゅう押してる者
落書きをしている子ども
吸盤のついた弓矢を射る子ども
まだ歩き始めたばかりの赤ちゃん
犬だのそういうやつ
じじい、ばばあ、サラリーマン
みんながおのおの塊のそばで伸び伸びしている。
そうか..
何かこういうよく分かんないおっきいものってみんな結構すこだったんだ..
いいな..
私は目を細めてその光景をしばらく眺めているのだった。
3
巨大な薄エメラルドグリーンのドームがある。
空気が絶えず注入されているようで、空気注入機のエンジンが向こうの方でズガガガガと鳴り続けており、全体がゆるやかに揺れ続けている。
中は空洞なのだろうから入ってみたい気持ちが強くなっていく。
が、見渡してもそれらしい入り口はない。
「ご用の方へ」と手書きの張り紙と共にインターホンが備え付けられているのを発見したのでピンポンを押してみる。
。。
返事がない。もう一度押してみる。
。。
「..はい」と落ち着いた初老の男性とおぼしき声が答える。
あの、なんていうか初めてなんですが..初めてっていうかそもそもこれは何かしらの施設、何かしらのイベントに関連した施設的なあれでしょうか?..みたいな疑問を有しているというか、あのシンプルに中に入るのに何か資格を有して..
口が滑る。
インターホンの向こうの人は何も答えない。
いやこんだけ断片的にせよワードを並べたら「この人、これが気になってるんだな。できたら入りたいんだな」くらい分かりそうなものなのに。
「入れますか?」
「..入る?」
「はい、あの..このインターホン越しに会話しているあなたが中にいるように、私も入りたいのです」
「入る、というのは..?私は確かに応答しておりますが、あなたが話しかけてるインターホンとは遠く離れた位置に通信機によって会話が成立している状態なのです」
「あ、そうなのですね。いやこのインターホンがついてるエメラルドグリーンの大きなドームをたまたま見かけまして、で何かのイベントの施設かなと思いまして、で入れるかなと思ったのですが」
「。。」
「あのー..」
「。。」
返事が途切れてしまった。
ピンポンを押す。
返事はない。
ドームはゆらゆらしている。
今日は暑くて、正午ともなると炎天下である。
風はとんと吹かない。
汗はだらだら。
返事はない。
ドームの向こうの青空にもくもくした白い入道雲が張り付いた画像みたいに静止して在る。
2
巨大な透明なガラスのピラミッドがあり、中には草木や生物が蠢いている。
その横に佇む人の名札には研究員とあるので話を聞くと、いわゆる人工的な生態系をピラミッド内で構築しており、中の空気や水、食物連鎖でバランスが取れているのだという。
それを外から眺めている私はこのピラミッド内の世界からすると不要な存在なのであろう。
不要な存在なのに存在して外から眺めている。
存在しなくていいのに存在している。
否、存在してしまっている。
存在してしまっているのは私のせいではなく、発生した要因に因る。
しかしながら「存在してしまったよね君」という矢印は私に向けられてしまうので、存在してすみませんと私が言わなければならない。
本来なら
「いや私が存在しているのは、存在してしまっているからであって、発生した要因に因るのですよ、では左様なら」
と立ち去りたいところだけど、そうは世間が許さない。
なので「すみません誠に」と言うしかない。
そうして許しを請うしかない。
なんで請わなければならないのか、という気持ちとは裏腹に。
ただ世間のほうで前もって「しょうがないから許そうよ」としておいてくれればいちいち「すいやせん」とやる必要もなかろうかと思う。
世間の方で調整しておいてくれればよい。
「しょうがないのだからいちいち攻め立てるのはよそうよ」と。
これは別に善悪とかどっちが上とかの話ではなく、ごく理性的な事実に基づく判断として「本人の出自の原因は本人の責任にあらず」というたった十数文字で説明可能な事である。
そこを無視して、この世界にこの存在は不要なのであるから存在してはならない、とするのは感情論であり、排他的かつ独善的な物言いである。
という事で上述の事を研究員に告げると、しかしながらこのピラミッド内でのバランスは物理的かつ生物学的にやはり理性的事実に基づく判断として、現実的に計算されて構築されている、という事実があると述べる。
不必要な存在が混入する事で、既存の生態系が崩れ、全体が破綻してしまうというのだ。
それはこちらの望むところではないし、こちらが正しいのと同じように、その生態系のバランスを保つ事自体も正しいのだ。
相いれない正しい主張が複数存在しており、これもまた「しょうがない」現実である。
しょうがないものを無理やり曲げてこちらの主張を通そうとしても成り立たない。
かくして、主張を折って迎合、あるいは妥協点を見出すしかない。
その旨を告げると研究員の回答は以下だった。
「あなたがこのピラミッドで生活するのに気圧、木々の光合成量やら自律調整を再計算する事は可能です。
しかし外界との交流を断つ事になるのであなたのご協力も必要となり、具体的には情緒が不安定になるなど生命活動への心理的負担を担って頂く事となります。発狂や自死に至る可能性を孕みます。」
ガラスのピラミッドが太陽に反射して眩しい光を投げかけるが、これは光の意図に因るものではなく、光の性質、反射の角度に因るものである。
1
自分の背丈より全然大きい、高さ4メートルはあろうかというゼリーがぷる..と眼前に在る。
淡いエメラルドブルー。
ペパーミントブルーというよりペパーミントグリーン。いやミント。
薄っすら色がついているけど基本透明なので向こうの景色がゼリー越しに揺らいで見える。
こんなぷるんとした物質なのにちゃんと立てているのがまずすごい。
あと作った時って巨大な容器に注ぎ込んだやつをゼリー化させて、それをひっくり返してここにドプリと置いたのか。
或いはテレポーテーションでここに出現させられたか。
もし後者だとしたらテレポーテーションってマジであるんだ。
こんな大きいものもテレポートできるんだ。
そのテレポーテーション使える人って「東京テレポート」駅の事どう思ってるんだろう。
「なにがテレポートだよ..」
なんて思ってるんだろうか。
テレポーテーションを使える事は親しい友人にも明かしていないんじゃないだろうか。
だってもし使える事が判明したらLINEで
「つかさ~来週土曜にデンマークで本物のロイヤルコペンハーゲンのお皿ゲトりに行きたいと思ってるんだけどちょっとテレポートしてくれない?
え、嫌?いやそんな事言わずにちょっとちょいっとやるだけじゃん。
なんでそんな嫌がるのよこのケチ!もうええわ!」
とかイラつく展開になりそうだし。
あと今まで自分で散々テレポーテーションしまくり過ぎて、逆にちゃんと時間使って電車とかで逆に鈍行とかでゆっくり不便を味わいながら移動する事を好いてそう。
テレポーテーションなんて、って思ってそう。
くっ、こんな能力さえなければ..!って一人で自分の運命を呪った夜がありそう。
そんなこんなでホントテレポーテーションを使う時は一定のルールの元、あまり深く考えてストレスにならないように無色透明の気持ちで使ってそう。
そんなある日、私用では絶対使わないぞって決めてたけど恋人のなんか親類とかがどうしても急な心臓病とかで一刻も早く病院に連れていかないとやばいって時に、ええいままよっつって恋人の前で使ってしまって「そんな能力があったなんて..」ってバレる事になってしまって、助けたはいいものの恋人との関係にヒビが入ってしまった、なんて事すらありそう。
まあそんな暗い事ばっかじゃなくて気軽に地方の旨い魚を食べに行ったり、頻繁にニューヨークに行ってホットドック食べたり、アフリカの荒野の上空数百メートル地点にテレポートしては地上ぎりぎりで自分のうちの布団にテレポートしてスリルを味わったあとにスヤスヤ寝たりしてるかもしれない。
浮き輪つけて見渡す限り海っていう大海原のど真ん中にテレポートしたりもしてる可能性がある。
とにかく好き放題色んな所にテレポートしてる可能性がある。
テレポートし過ぎてテレポートに飽きたら一歩歩いた瞬間に元の位置にテレポートして永遠に歩いてるのに同じ場所にいるみたいなしょうもない使い方とかも大学生の頃にしてたと思う。
終電逃してもテレポートで帰れるから散々飲むし、出先で汚いトイレとかに遭遇したら一回自分のうちに戻って用を足してたりもしてると思う。
ふいに風がビュウと吹いてゼリーはぷる..となった。